🧩わころログ、はじまります。 ── 工場勤務で心と体を壊した僕が、エンジニアとして再スタートするまで

生き方・価値観

はじめに

こんにちは。「わころ」です。

今日からこのブログ「わころログ」を始めます。

ここでは、かつて工場勤務で心と体を壊した僕が
未経験からエンジニアとして再出発し、
今ではフリーランスとして独立を目指している──
そんな“再スタートの記録”を綴っていきます。

20代、町工場での仕事

僕は20代の頃、人情味あふれる小さな町工場で働いていました。
周りの先輩たちは面倒見が良く、仕事終わりに飲みに行ったり、
時には冗談を言い合ったり──そんな温かい職場でした。

ただ、年齢を重ねるにつれて
「もっと収入を上げたい」「家族を安心させたい」という思いが強くなり、
僕は思い切って転職を決意しました。

新しい職場、そして環境の変化

新しい職場は規模も大きく、設備も整っていました。
待遇も良く、「これで理想の働き方に近づける」と思っていたのですが……
思っていた以上に、人間関係や職場の空気に馴染めませんでした。

上司が代わった後は会社の方針も変わり、夜勤シフトが始まりました。

少しずつ寝付きが悪くなり、会社の夢をよく見るようになりました。
ある日、寝癖を直した後の洗面台に、大量の抜け毛が目立つようになったのです。

円形脱毛症との出会い

突然の診断

かかりつけの医者に行って診てもらうと、
静かな声でこう言われました。

「円形脱毛症ですね。」

最初は後頭部の一部だけだったのですが、
そこからわずか2週間ほどで8割近くの髪が抜け落ちました。

鏡を見るたびに現実を受け入れられず、
枕についた抜け毛を見るのが怖かったことを覚えています。

環境の変化がもたらしたもの

新しい職場は規模も大きく、設備も整っていました。
待遇も良く、「これで理想の働き方に近づける」と思っていたのですが……
思っていた以上に、人間関係や職場の空気に馴染めませんでした。

上司が代わった後は会社の方針も変わり、夜勤シフトが始まってしまい。。

少しずつ寝付きが悪くなり、会社の夢をよく見るようになり。
ある日、寝癖を直した後の洗面台に大量の抜け毛が目立つようになりました。

かかりつけの医者に行って診断してもらいました。

「円形脱毛症」

それが、僕の脱毛症の始まりでした。

「汎発型」との診断

しばらくして医師から「汎発型(はんぱつがた)」という言葉を聞きました。
頭だけでなく体毛すべてが抜けてしまうタイプの脱毛症です。

正直、かなりショックでした。
まゆ毛も、まつ毛も、ヒゲも、腕やスネの毛もなくなり、
「別人みたいだな」と思うこともありました。

でも、不思議と**人前に出る恥ずかしさよりも“解放感”**がありました。
髪をセットする時間もなく、
顔がツルッとしているせいか「若く見えるね」と言われることも。
今では少し笑って話せるようになりました。

治療と再発、そして「受け入れる」まで

2度にわたり入院して、
ステロイド治療を受けました。
一時的に産毛が生えて喜んだのも束の間、
退院後しばらくしてまた抜けてしまいました。

その後、カウンセリングにも通いました。
医師から「ストレスが直接的な原因とは限らない」と言われましたが、
やはり仕事の緊張や不安が強いと、症状が再発するように感じています。

支えてくれた家族の一言

治療を続けるか迷っていた時、
奥さんが冗談混じりにこう言ってくれました。

「ガンみたいに死んじゃうハゲだと怖いけど、
死ぬわけじゃないハゲなら全然問題ないんじゃない?」

その言葉に、ふっと力が抜けました。

それまで「治さなきゃ」と焦っていた自分に気づき、
初めて“病気を受け入れる”という選択ができた瞬間でした。

そこからは、治療をやめて、自然に任せることにしました。
髪がなくても、眉毛がなくても、
笑ってくれる家族がいればそれでいい。
そう思えたことで、ようやく心が軽くなったのです。

お金よりも、大切なもの

この出来事を通して気づいたのは、
僕が本当に守りたいものは「収入」ではなく、
奥さんと娘たちの笑顔だということでした。

夜勤明けで疲れて家に帰っても、
子どもたちの寝顔を見る時間すらない。

奥さんもフルタイムのため、遅くまで保育園に預けて平日一緒にいられる時間はわずか。
「何のために働いているんだろう?」と自問するようになりました。

働き方を変える決意

それから僕は、
「家族との時間を大切にしながら働ける仕事」を探しました。
いろんなyoutubeチャンネルを見漁り、たどり着いたのが在宅でも働ける“エンジニア”という道でした。

最初は右も左もわからない未経験でしたが、
学びながら小さな案件を積み重ねていくうちに、
少しずつ自信がついてきました。

髪はなくても、
パソコン1台で未来を作る力がある。
そう思えた瞬間、心の中に光が差した気がしました。

見た目が変わっても、人生は続く

髪を失ってから気づいたのは、
**「見た目が変わっても、人生はちゃんと続く」**ということ。

周りの目がつらくてカツラを使ったり帽子が手放せない時期もありましたが、
今は何も被らない。治療もしない。ありのままで生活しています。

そして、再スタートへ

環境を変えたことで、自分が何にストレスを感じやすいのか、
どういう働き方が合っているのかが少しずつ見えてきました。

「自分の手で生き方を選びたい」と思い、
30代後半でプログラミングを学び、エンジニアの道に踏み出しました。

でも、システムエンジニアとして企業に勤めている今も、
「自由」には限界があると感じています。

コロナ禍以降リモートが中心だった働き方も、
最近は出社が増え、やはり会社の決まりには逆らえない現実があります。

そんな中で、
「もっと家族との時間を自由に使いたい」
「自分の力で働き方を選びたい」
という思いが強くなりました。

そして今、フリーランスとして独立する準備を進めています。

同じように悩む人へ

もし今、
「職場の人間関係に疲れた」
「環境を変えたいけど勇気が出ない」
そんな気持ちを抱えている人がいたら、
ぜひこのブログを読んでほしいと思います。

転職やキャリアの選び方、
心と体のバランスの取り方、
そして、家族とどう生きていくか

僕なりの経験が、少しでもあなたのヒントになれば嬉しいです。

このブログを始めた理由

僕がブログ「わころログ」を始めようと思ったのは、
これまでの経験が、もしかしたら誰かの助けになるんじゃないかと思ったからです。

脱毛症で苦しんだこと、
転職で迷ったこと、
そして今また新しい挑戦に向かっていること。

そのすべてが、誰かの背中を少しでも押せるなら──
そんな想いで書いています。

次回予告

次の記事では、僕が工場勤務からエンジニア転職を実現したときに使った転職サイト・サービスを紹介します。
未経験からでも挑戦できる転職のステップを、実体験ベースでお話しします。

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